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OPAMブログ

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手が踊る 手が語る ①

教育普及 2019.07.29

 手の動きを見ると、まるで踊っているように見えることがある。ワークショップの講座で講師の方が制作実演している時、あるいはレクチャーのときに手が一緒に動いてしまう方がいるが、その動きを見ていると、本当に踊っているように見えるのだ。しかもその動きは、踊りのジャンルにも当てはまる気がする。
 十年以上も前になるが、木口木版画を制作する柄澤齊氏の制作を見たとき、手先への集中度の高さが感じられた。ゆるがない。ぶれない。時間の流れと共に、たんたんと硬い桜の木口に細い線が刻印され進んでいく。それはまるでクラッシックバレエを見るようだった。一方、同じ木版画でも、立原戌基氏はコンテンポラリーダンサーのようだった。軽快に技を見せる。それも話をしながらだ。そして画家の石原靖夫氏がレクチャーをする時の手の表情は、まさに舞踏家である。約束事の中に自由度があり、かつ、自分の内面と向き合うような感じがした。

 
 

時松辰夫

時松辰夫

 さて、湯布院で木工工芸品の制作と展示をしているアトリエとき研究所代表の時松辰夫氏の手について触れたい。数年前、力士と握手をしたことがある。東京・両国で会った名前も知らない力士だった。時松氏の手を見たとき、なぜだか握手をしたときのことを思い出した。普通の手の標準サイズより二回りほど大きく見える。しかしごついのではない。しっかり、どっしりとした、揺るぎない手という印象だ。時松氏が手を動かし始めると、それはまさに職人の手だ。大きいのに、ゆっくりと細やかに、確かなステップを踏むように、動く。石原先生の手と同じ感じがした。 両氏は「心は形(身体)に表れる」と、言っている内容は同じ大切なことの気がする。以前、時松氏は「人間の感情を出来るだけ入れたい」という、クラフトにおける信念のようなことを言っていた。

 

岡田美佐子

岡田美佐子

  “手”は、触覚の受容器官であり、表現(制作含む)・伝達にも使われる。美術の領域でメディアアートや仮想現実の世界が広がる中、身体と感覚は常に意識していないと、視ること・表現することのみならず、生きる力そのものが弱くなる。身体と感覚と脳を活性化させる“手”を取り上げることで、視ること、表現すること、生きる力を取り戻すきっかけとしたい。ということで、この8月、“手”をテーマにした講座を開催する。講師は岡田美佐子(作業療法士)、盛田亜耶(美術家)、小川信治(美術家)の三名だ。彼らの手はどのような踊りになるのだろう。つづく。
 

大分県立美術館 教育普及グループ 主幹学芸員 榎本寿紀

盛田亜耶 小川信治
盛田亜耶 小川信治