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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その十一

寄稿 2014.03.24

新見隆さんのドローイング作品「自家製オイル・サーディンの和風丼」

新見隆さんのドローイング作品「自家製オイル・サーディンの和風丼」

 前回「おんせん県おおいた」の話をしたので、今回は同じように県で宣伝している「味力満載の、大分」「関さば、関あじ」などの大分の食材と料理の話をしようと思う。ただ豊かな食材と山海の自然の恵みいっぱい、大分を食べ尽くそうという話だけではない。

僕はかなり前から食の絵日記を付けている。ほとんどが家で食べる女房の家庭料理なのだが、彼女は「何で、一日中台所に立っているの?」と子どもたちが昔からいぶかしがっていたほど、よく頑張って作ってくれる。それでも「食べたら一瞬なんで、何だかかわいそうというかもったいないので」、いつの頃からか下手なスケッチと日記で残すようになったのである。

一方、僕は家で仕事をするときでも原稿を書くときでも、家に居るときには日がな一日、音楽、特に「クラシック」と一般にいわれている音楽を聞いている。好きなのはロマン派のピアノ音楽で、シューベルト、ショパン、シューマン、リストなど。仕事が終わって晩飯のときには女房から献立を聞いて、とりわけ注意深くかけるCDを自分なりに選んで合わせる。そして味だけではなく、その調合が「今日はうまかった?」「おいしかった?」「まあまあか」などとたわいない話に打ち興じている。

女房の得意技で僕の好物はサバずし。広島・尾道のおふくろ伝来の、背身と腹身を斜めにそいで合わせ、別々に小さく巻いて2種の味を交互に楽しむわが家独特のものだ。時に、これにアジずしが加わるさらなる豪華版もある。これにはフランツ・リストの「巡礼の年スイス」を聞く。むろん山国スイスには、湖水の魚はあるがサバはいない。けれど、晴朗で哀愁に満ちた、幾分かは勇ましいリストのこの音楽が、酢の味とともに口に入れて広がり、かみしめると喉の奥にグーッと深く入ってくるサバのうま味にピッタリなのである。

「リストのサバずし」というと、変に聞こえるかもしれないが、実はミュージアムの楽しみ方の中には、そういう味覚と絡めて、五感で絵や彫刻を味わう奥義?変則技のようなものもあるのをご存じだろうか?

例えば日田の名匠・宇治山哲平先生の作品は、僕にはいろいろなきれいな色と、単純ではあるが奥深い形が、複雑に響き合う交響楽(ポリフォニー)のようなものだと感じられる。

ポリフォニーというと、僕の家でいつも女房が作ってくれて、家族皆が好きな「子宝風チャーハン」だろう。実はある京都の洋食屋の焼き飯のまねなんだが、牛と豚の細切れ肉をまぜ合わせて、(そこのはマッシュルームだが)コリコリした大分のシイタケをたっぷり入れて出る深い味がミソだ。

僕は哲平先生の絵を見るたびに、わが家の「子宝風チャーハン」が食べたくなるし、絵の中に、そういうポリフォニーの味覚も感じられるようになった。

人間存在の深みを求める髙山辰雄画伯には、さしずめ家の料理なら、BLT(ベーコン、レタス、トマト)代わりに深海の味がする「マグロのグリル」を挟んだサンドイッチだろう。日本文化の本質、水を追求した福田平八郎画伯ならばやはり大分特有の「しらすスパゲティ」が合うのじゃないだろうか。

実は、新しいミュージアムのコンセプト「大分が世界に出会う、世界が大分に出会う」は、ミュージアムのカフェメニューにもぜひ反映してほしいと思って、僕はこういうことを考えている。

美術館で、例えばロートレック展なんかがあったときに、特別メニューで「ロートレックの時代の食卓」というやつがよく出ている。そういうのもまあ一興だが、大分ではむしろ豊かな食材そのものが、アートそのものやスペイン、イタリア、ギリシャ、トルコ、カリフォルニアなど、「南国的?料理法」と「グローバル・フージョン(国際混淆)」して、互いの新しい魅力を発見し合うように、ぜひなってほしいと願っている。


新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大芸術文化学科教授

 

大分合同新聞 平成26年3月24日朝刊掲載