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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その十二

寄稿 2014.04.21

 世界の巨匠建築家、坂茂さんの堂々とした建物も、その勇姿をほぼ現してきた。来年春の開館まであと1年。準備に大わらわではあるが、僕はもう待ち遠しくて仕方がない。連載12回目の区切りなので、そろそろ新美術館のオープン展の中身を少しばかり、披露しようかという趣向だ。

 オープン展はもちろん「大分の世界性を内外に示す」「大分ミーツ、グローバル。グローバル、ミーツ大分。出会いのミュージアム」を体現した、モダン絵画を主に、工芸デザインも入れた総合ジャンルの大展覧会である。

 結論からいうと、大分県の生んだ巨匠芸術家たちは、皆が19世紀から20世紀にかけての近代「モダン派」だ。それは欧州でいえば、市民革命、産業革命が起きて、新しい近代社会が始まり、「人間の心の内面と自然や宇宙とを響き合わせよう」(後出)とした「ロマン派」の芸術が生まれた時代、それは今日僕たち現代のルーツとなる「新しい芸術家」たちであるということだ。

 江戸時代の文人南画といっても、何ら古くさいものではない。むしろ、今日の現代生活に通じる「大きなロマン」の始まりが彼らなのである。

 竹田市の生んだ、偉大な文人南画の巨匠、田能村竹田。昔の人といっても、たかだか、19世紀江戸時代末のアーティストだ。竹田荘に行った時、そこには彼のゆったりとして、伸びやかな絵に通じる「世界性を持った宇宙観」の広がりがあると感じた。

 幕末の革命思想家、大塩平八郎とも親交があって、雪山の寓居(ぐうきょ)に友達の様子を見に行く大塩所蔵の竹田作品を見た時、僕は思わず、大好きなロマン派音楽の王者、ショパンを思い出した。

 昨秋の県立芸術会館のトークでは、その絵を見せながら、ショパンが祖国ポーランドの独立戦争を見届けずにパリに行く直前に作った、はつらつとしたピアノ協奏曲1番を聴いてもらった。

 19世紀は激動動乱の時代の始まりだ。そこに芸術家たちは、「人間の内面が大自然や宇宙と響き合う『万物照応=コレスポンデンス』」(フランス象徴詩の詩人、ボードレールの言葉)を求めた。

 竹田と同世代には、ドイツ・ロマン派の詩人、ノバーリスや、楽聖ベートーベンがいる。ちょっと前の生まれではゲーテだ。

 文人南画は単に、世俗の騒がしさを逃れて、桃源郷に遊ぶ老人芸の世界では全くない。竹田没後、大塩平八郎が爆死して、ペリー来航もすぐそこである。現世の激動にもまれながら、その俗世と無限に広がる宇宙の一体感を彼らは示そうとしたのだ。

 竹田芸術はそういう、グローバルな「ロマン派」の気配と空気感を確かに持っている。ある説だが、ロマン派の特徴は近代になって「共同体や国家や宗教が体現していた魂のよりどころを失った、一人一人の個人が、自らの内面に、ロマン=美を求める、故郷喪失者の心の旅を始めたこと」だと言う。

 日本では、明治の半ばから、欧州世紀末芸術に影響を受けた明治浪漫派、青木繁や藤島武二の幻想的な絵画、与謝野晶子の情熱的な短歌に、それは引き継がれてゆくのである。

 竹田のロマン主義をそのルーツと捉えれば、彼が亡くなってから生まれたフランス素朴派の画家、勤勉な生活官吏にして日曜画家ともいわれたアンリ・ルソーの絵と、竹田芸術は、「激動の生の最中の楽園」を求める志向によって、さらには自分の「いま、ここ」という居場所を広く拡大して「無限の宇宙」として夢見た画家として、隣同士に並んだら、すごく面白いのである。参考としてアンリ・ルソーの代表作「散歩(ビュット=ショーモン)」(1908年、世田谷美術館所蔵)を紹介しておく。

 こういう驚きの試みを、オープン展では随所でやることになる。それは大分の子どもたちに見てほしい「モダン名画二百選」の形を取りながらも、大分の作家の世界性を掘り起こす果敢な試みが満載なのである。


 新見 隆(にいみ りゅう)
 県立美術館長
 武蔵野美術大芸術文化学科教授

大分合同新聞 平成26年4月21日朝刊掲載