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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その十三

寄稿 2014.05.19

県立美術館オープニング展の主要借用館となるスペイン・マドリードの国立ソフィア王妃芸術センターでのダリ回顧展

県立美術館オープニング展の主要借用館となるスペイン・マドリードの国立ソフィア王妃芸術センターでのダリ回顧展

 県立美術館ショップのテーマカラーを決めようということで、豊後梅のピンクや緑豊かなグリーンとか、さまざまに大分県らしい色の話が出た。開館告知ポスターの端正でシャープなグラフィックデザインを担当してくださった平野敬子さんと工藤青石さんは、いろいろな要素を受け入れる母体として、ニュートラルなモノトーンを使ってくれている。

 黄色というか、黄色からオレンジ色にかけての温かいかんきつ類、カボスを思わせる南国風の夏のカラーが良いなと言った。大分から小倉までのJR日豊線ソニックの車窓から一面に咲く菜の花が壮観だった。陰陽五行説の世界の中心に位置する「黄」を思った。

 武蔵野美術大芸術文化学科、わが学びやで、日本古来の「室礼」の宗匠山本三千子先生をお招きし、学生たちに講義をお願いした。

 山本先生は祖先の霊や自然神に大地の恵みをお供えする正月の鏡飾りやひな祭り、端午の節句、七夕、重陽など伝統的な年中行事を教えてくださる。まずお話しになるのは、古代中国の世界観である陰陽五行説だ。

 ユーラシアの世界観「五行」五色、つまり世界は五つの要素「木、火、土、金、水」で構成されるという考え。今の学生たちはすぐには脳中で展開できない。

 「青=春、朱=夏、白=秋、玄(黒)=冬」。京の都を四方の門で守るのは青竜、朱(す)雀(ざく)、白虎、玄武の聖獣。中心には黄竜が鎮座する。人間の徳、五徳すなわち仁、義、礼、智、信もこれに対応すると聞いて納得、驚いている。

 宇宙世界の中心にあって「埋もれていて見えない」が「全てが育つ源」である「土」の色、そして五徳の中でもっとも難しいとされる「信じること」。その黄からオレンジ色こそが「信じる大分の色」なんじゃないかと思った。

 私事で恐縮だが、僕は高校3年のとき、カトリックの洗礼を受けた。長い寮生活、いつも面白おかしくユーモアたっぷり、時に頑固、ユニークなスペイン人イエズス会の神父さんたちと暮らした。創設者はルターの宗教改革に発奮して、世俗に堕落したカトリックを正した、ロヨラの聖イグナチオ。彼が東洋に派遣した盟友が、大友宗麟に洗礼を授けた、かのフランシスコ・ザビエルである。

 日本のクリスチャンとして、めいめい背負うべきは信仰のために亡くなった先達、188人の偉大なる殉教者たちの魂であると徹底的に教えられた。日頃からだらしなく、自分勝手で不真面目な僕を「何でおまえがクリスチャンなん?」と友はやゆする。「駄目な人間にこそ救いが要るじゃろ」と答える。

 聖書は途方もなく魅力的な書物だが、使徒パウロの教えに引かれた。初めはキリスト教徒の迫害者だったユダヤ教エリート学者のパウロは、転じて伝道者となり、最後はローマで殉教する。一貫、人間めいめい自分の中に必ずある「弱さこそが、(そのままで)光なのだ」ということをイエスから学んで、伝えた。

 中世の激動期に「日本中全てが混乱し、行方を見失った」と喝破して、越後に流罪になったという、日本史上最大の革命家にして宗教家(畏敬する堀田善衛さんの『方丈記私記』による)親鸞と、パウロとはほとんど同じ思想を持っていたことを後に知る。

 親鸞や初期キリスト教会の聖人たちのように、命懸けの激動の人生に凡人ながら憧れを感じもするし、道楽三昧の果てに回心した僕の愛する聖人たちもカトリックにはあまたいる。

 僕の新美術館長としての使命は、素晴らしい美術品を借りに行きながら、世界中日本中の有名美術館の館長に「大分をなめとったら、俺がただじゃおかんけえの」とすごんで回ることだ。それは僕が言うのじゃなく、ペトロ岐部と187人の殉教者の魂が、そう言わせるのである。


 新見 隆(にいみ りゅう)
 県立美術館長
 武蔵野美術大芸術文化学科教授

大分合同新聞 平成26年5月19日朝刊掲載