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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その二十九

寄稿 2015.09.21

10月31日から始まる開館記念展第2弾「神々の黄昏」のチラシ

10月31日から始まる開館記念展第2弾「神々の黄昏」のチラシ

 開館から半年近く。これからはさまざまな県内芸術家の方々にOPAM(県立美術館)の素晴らしい、この堂々たるさっそうとした空間を使っていただくことになる。29日からは全館使っての県美術展が始まる。OPAM創設の原動力になった県在住作家の皆さんに大いに、それこそ「自分の家」のような気持ちでスペースを使っていただきたいと思っている。
 僕が知る限りでは、県美術協会という極めてオープンな団体は、他県のそれとは全く異なり、自由闊達(かったつ)で清新なスピリットで運営し、謙虚で気持ちのいい精進をたゆまず続けてきた作家たちの集まりである。
 僕は根っからのキュレーター、いわゆる展示屋だ。素晴らしい作品を前にすると、まず「どこにどうやって並べて、飾ってほしいの?」とその作品に聞いてみる。マティスだって、福田平八郎だって、先輩友人の真島直子さんや内田あぐりさんの作品だって皆同じ。そうするとおのずとそれぞれの作品がどこにどのように並べてほしいか、必ず語り掛けてくれるものだ。
 そうして僕という媒介=無の器=を介して、作品を空間に「憑依(ひょうい)」させて生かしていく。収蔵庫に置かれている作品はいわば眠っているわけで、それを空間の中で再び活気づけるのである。作品展示には徹底的に気を使う。OPAMが普通のミュージアムではないことは、もう既に県民の皆さんには分かっていただけたことと思う。
 開館記念展「モダン百花繚乱(りょうらん)『大分世界美術館』」では、僕たちは作品を壁に掛けるときの高さや間隔を一定にそろえるという通常のことを一切やっていない。宇治山哲平やモンドリアン、ダリ、ピカソ、髙山辰雄、香月泰男の作品の大きさや形、色彩、気配に応じてその間隔や高さも変えてある。そういう展示でないと、作品は本当には生きない。作品を生かすも殺すも展示次第なのだ。
 OPAMはコレクションの展示にも全精力を傾けている。だから旧県立芸術会館当時とは、空間が新しくなっただけではなく、その展示思想も「作品同士の絡みで、空間の気を立ち上げる」という全く違ったものになっている。芸術創造そのものと同じように「展示」も一つのアート、創造行為である。ある作家の言葉を借りると、その源には「アートは森羅万象に対する感受性」というようなものがあるべきだ。
 地方や東京の美術館に限らず、作品や企画内容はもとより、僕が展覧会を見に行って一番気になるのは、やはり「展示のうまい、下手」だ。時に目も当てられない展示を見ていると少し悲しい気持ちになる。むろん学芸員や作家たちに悪気はないのは分かっている。展示というとごく当たり前に高さを合わせ、間隔をそろえてただ整然と並べるものだと思い込んでいるからだ。奇をてらえばいいというものでも決してない。
 ただ空間と展示には、さっそうとしたおしゃれな空気がどうしても必要だ。それを観客は求めている。全ての作品が爽快に気持ちよく、ダイナミックに展示されて観客の方を一斉に向いて「さあ、どうだ!」と叫んでいてほしいのである。新生OPAMでの県美術展に大いに期待している。

新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成27年9月21日朝刊掲載