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生誕110年記念 糸園和三郎展 ~魂の祈り、沈黙のメッセージ~ 第4回

展覧会 2021.10.15

描き続けた郷里の大木

 1964年、自由美術協会の分裂に伴ってこれを退会した糸園和三郎は、以後どの美術団体にも所属せず、主にグループ展で作品を発表しました。
 
 70年代以降の作品には、それ以前の社会的なメッセージ性を強く含んだ作品は影を潜めます。代わりに、老いを題材にした「老婦と子供」や「ブランコの老人」など、身近な題材を扱った作品が多くなりました。

 これらの作品に共通する特徴は、地面と空の境界を取り払った、広々として限りがない背景です。その結果、広い世界に登場人物しか存在しないかのような孤独感や寂寥(せき/りょう)感が生じています。11歳の時に骨髄炎を患った糸園は、1年遅れで当時の南部尋常高等小学校(現在の中津市南部小学校)を卒業し、以後の学業を断念しています。そうした経験が、現代を生きる人々の孤独や不安に目を向けるきっかけになったのかもしれません。

 同時期に制作された「阿仁の丘」や「土塊」は、兄の死を悼んで制作された作品で、一つのモチーフが二つのものにも見えるという特徴を持っています。砂丘あるいは土の山をよく見ると、横たわる兄の遺体の形をしているのが分かります。あたかも風景と死者が一体となっているかのようです。

 晩年の糸園は目を患い、次第に視力を失っていきます。その中で繰り返し描いたのが、郷里の小学校の校庭にあるクスノキでした。この大木は、糸園にとって、病気にかかる以前の記憶に連なる象徴だったのかもしれません。明るい光を放つ大木と、そこに集う人々の様子を描いた「丘の上の大樹」は代表的な作例です。ここには、さまざまな苦しみを乗り越えてきた糸園が、人生の最後にようやくたどり着いた心境が映し出されているかのようです。


(県立美術館学芸員 梶原麻奈未)


▽「糸園和三郎展」は31日まで。入場料は一般800円、大学・高校生500円。中学生以下無料。


=終わり=

《丘の上の大樹》 1991年 大分県立美術館
《丘の上の大樹》 1991年 大分県立美術館