「大本山 相国寺と金閣・銀閣の名宝」寄稿記事【中】
2022.12.23
今年2022年、大分県は東アジア文化都市に選定されました。東アジアの国々との交流によって新たな文化を創造していこうという事業です。禅文化は、日本を象徴する文化のように言われてきましたが、その起源は、中国にありました。
室町幕府は、中国との交易によって経済的利益を得、唐物と呼ばれる舶載品を東アジアの文化秩序の文脈で位置づけることで、室町文化の正当性を作り上げていました。また、江戸時代には朝鮮との外交に京都五山の禅僧、特に相国寺の僧が重要な役割を果たしました。
その一人に梅荘顕常(大典禅師・1719 ~1801)がいます。顕常は、伊藤若冲(1716 ~1800)の友人であり、精神生活の指導者でもありました。その縁により、若冲は相国寺に多くの作品を残しています。有名な「動植綵絵」は、若冲が相国寺に寄進するために10年ほどの歳月をかけて描いたものです。
これと並行して描かれた水墨画の代表作が金閣のある鹿苑寺の大書院を飾っていた「鹿苑寺大書院旧蔵障壁画」です。葡萄図は中国・朝鮮で豊穣の吉祥画として好まれたもので、若冲の「葡萄図襖絵」には朝鮮絵画の影響が伺えます。
「中観音図・猿猴図」は、後水尾天皇が相国寺の僧に行わせた観音に悔過する儀式の際に用いられたもので、その後相国寺に寄進されました。江戸時代の狩野派のスタイルを決定した狩野探幽、尚信、安信の三人の兄弟によって描かれた三幅の組み合わせで、堅実で軽みのある探幽(中)、墨の濃淡を活かした洒脱な尚信(右)、やや硬い描写の安信(左)といった、それぞれの特徴を見ることが出来ます。この絵は、中国の牧谿が描いた「観音猿鶴図」三幅を手本にして描かれています。
若冲も探幽も独自のスタイルを生み出した画家ですが、その個性は、東アジアの文化交流によって造られたのです。この展覧会では約20点の若冲作品が出品されていますが、そのうち「葡萄図襖絵」など5点の重要文化財は、25日までの展示で、27日からは襖の反対面の絵に替わります。
(大分県立美術館 館長 田沢裕賀)
伊藤若冲 《鹿苑寺大書院旧蔵障壁画 葡萄図襖絵》 宝暦9(1759)年 鹿苑寺蔵 重要文化財 | 狩野探幽、尚信、安信《中観音図・猿猴図》正保2(1645)年 相国寺蔵 |
大分合同新聞 令和4年12月23日掲載