2021.10.08
1956年に再び上京した糸園和三郎は、57年のサンパウロ・ビエンナーレの選抜や「鳥の壁」の第4回日本国際美術展佳作賞受賞などで注目を集めます。
この作品では、画面右側に鳥の置物のようなものが3個、下に近づくにつれ大きくなるように描かれています。背景に余計なモチーフは一切描かず、色の変化と独特な絵肌が画面に抑揚を与えています。絵の具による絵肌の細かい処理には、当時の美術界で急速に広まっていたアンフォルメル(非定形)との関係がうかがわれます。糸園は、流行に左右されることなく、生涯具象絵画を貫きましたが、一部に非具象的な要素を取り入れていました。この姿勢は、シュールレアリスムの手法と併せて晩年に至るまで糸園の作風を支えています。
糸園は、58年からは日本大芸術学部に勤務し、講師として後進の指導に当たりましたが、この頃から、めまいなどの身体の不調を覚えるようになり、翌年に入院します。診断の結果、脳動脈瘤(りゅう)が認められたため早速手術の準備に取り掛かりましたが、担当医から、手術をすると絵筆を握れるようになるかどうか分からないと言われます。これを聞いた糸園は、手術をせず、周囲の反対を押し切って退院してしまいました。以後、治療は行わず、死の恐怖と隣り合わせになりながらも制作を続けます。「鳥と青年」は、退院直後に手掛けたもので、飛び立つ鳥を見つめる青年には、死に直面した自らの心境が映し出されているかのようです。その背景には、月の表面を思わせるような絵肌が広がっています。
退院後の糸園は、体調こそすぐれませんでしたが、作家活動を続けました。病気を抱えながらも死ぬまで絵筆を握り続けることができた理由は、作品を通して大切なことを伝えるという使命があったからかもしれません。
(県立美術館学芸員 梶原麻奈未)
▽「糸園和三郎展」は31日まで。入場料は一般800円、大学・高校生500円。中学生以下無料。
《鳥と青年》1959年 大分県立美術館 |