2023.03.04
河北秀也と三和酒類との関わりは、宇佐高時代から始まります。当時一緒に暮らしていた姉夫婦が2人とも三和酒類の社員だった関係で、日本酒を細々と造っていた小さな会社をよく訪れていたといいます。
焼酎ブームの中、社運を懸けて1979年に発売された「いいちこ」は、義理の兄が開発に携わった商品です。焼酎特有の癖がなく、すっきりした味わいの「いいちこ」は、九州を中心に少しずつ販売を伸ばしていきます。これを全国的なブランドにすべく、デザイン界の鬼才として注目を集めていた河北に相談を持ちかけたのは、宇佐高美術部の先輩で、後に社長となる故西太一郎氏でした。
83年、「デザインには一切口を出さない」ということを条件に三和酒類より「いいちこ」のプロモーションを引き受けた河北は、始めに「いいちこ」の徹底的なマーケティングリサーチを行いました。
その結果分かったのは、愛飲者の典型像が「40代、年収600万円以上、日本経済新聞の愛読者」だということです。社会的に一定の地位があり、いろんな酒を長年飲んできた酒好きの人が、価格やおいしさなどを冷静に判断し、さらに90%近くが人に薦められて、「いいちこ」を選んでいるということでした。
そこで河北が考え出したのが、ターゲットの人を頂点とする愛飲者を大事に育て、そのファン層に向けた広告展開を行い、さらに口コミで愛飲者を増やしていくというプランです。
少ない予算の中でできることは限られており、B倍サイズ(1030㍉×1456㍉)のポスターを月1枚、東京の地下鉄駅構内に1週間掲出することからプロモーションはスタートします。駅張りポスターは、即効性のある広告ではありませんが、長期間にわたって人の目に触れることで認知度が高まり、徐々に効果が現れてくるからです。
84年4月に掲出された第1作は、「いいちこ」のボトルが凝った意匠のグラスやランプとともにアンティークのテーブルの上に置かれ、「広告の世の中だけど噂(うわさ)で飲まれる酒があるミスマッチストーリィ」というヘッドコピーが入ったポスターです。
ビジュアルには大衆的な安酒という焼酎のイメージを一新したいという河北の狙いが反映されており、おいしさにこだわり、品質第一を旨とする「いいちこ」の基本姿勢をアピールする文章が添えられています。最初の1年ほどは試行錯誤を重ねながら、こうしたスタイルのポスターが作られました。
(県立美術館主幹学芸員 吉田浩太郎)
令和5年3月4日 大分合同新聞掲載