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「朝倉文夫生誕140周年記念 猫と巡る140年、そして現在」寄稿記事【2】

寄稿 2023.06.17

 豊後大野市朝地町出身の朝倉文夫は、日本の近代彫刻を率いた作家である。1948年に大分県で第1号となる文化勲章を受章し、51年には文化功労者に選ばれている。
 朝倉は非常な努力家であり、揺るぎない信念を持つ芸術家であり、社会のために役立つことを重んじた作家だった。本人の言葉によれば、東京美術学校在籍中、卒業要件である50体程度という数を超えて、1200体もの作品を制作した。また、肖像彫刻が一般の彫刻よりも下に見られた時代に、肖像彫刻を出品し続けた。さらに同校の教授として、また朝倉塾や朝倉彫塑塾の主宰として多くの芸術家を育てた。晩年には朝地町の土地を購入し、美術館や梅園を配した公園の建設も構想している。
 朝倉は、このような志の高い芸術家だが、意外なことに、10代の頃は劣等感を持っていたようである。回想によれば、朝倉は、数学など好きな分野では100点、嫌いな分野では0点を取っていたことから落第し、学校を中退した。そして、誰からも相手にされず、悪口ばかり言われたと述べている。悩みが深かったことが想像できるが、それと同時に私たちは、朝倉が並々ならぬ努力で人生を切り開いたことを、作品と資料から知ることができる。
 朝倉がどのような人物だったかを知る上で、もう一つ特徴的なことがある。朝倉の作品といえば「墓守」のような肖像を制作した作家というイメージがあるかもしれないが、実際は動物の像も数多く作っている。朝倉は、猫が人にこびない冷たさと強さを持っているとして気に入り、何匹も飼っていた。猫の普段の様子を俳句にしたり、彫刻作品を作ったりしている。
 本展では、こうした猫の作品を中心に朝倉の生涯にわたる作品を展示している。美術家の安部泰輔と絵本作家で美術家でもあるザ・キャビンカンパニーによる視点を通した展示で、親しみやすくなっている。ぜひお越しいただきたい。

(県立美術館学芸員 梶原麻奈未)

令和5年6月17日 大分合同新聞掲載
 

朝倉文夫 《墓守》 (1910年) 大分県立美術館蔵
朝倉文夫 《墓守》 (1910年) 大分県立美術館蔵

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