2024.08.17
歌川広重は「東海道五拾三次之内」シリーズによって名声を高め、以後、江戸を中心とした数々の名所絵を手がけました。今回は晩年の大作「名所江戸百景」などを紹介し、広重の飽くなき風景画への挑戦に迫ります。
「名所江戸百景」は広重の晩年、1856(安政3)年から没後の59(同6)年にかけて、広重の描いた118図に加え、二代広重の描いた1図の計119図で刊行されました。名所絵では珍しい縦大判を採用し、遠近感を強調した大胆な構図で、江戸の市中や郊外の風景を描いているのが特徴的なシリーズです。ゴッホなど海外の画家たちにも影響を与えたことが知られています。
「深川万年橋」(20日から展示)も構図の面白さがよく分かる作品の一つです。実は同じ画題を葛飾北斎も「冨嶽(ふがく)三十六景」で描いているのですが(18日まで展示)、北斎の作品では橋を俯瞰(ふかん)した構図で、橋の下から富士山を見るのに対して、広重の作品では橋の上からつるされた亀が富士山を見下ろしています。同じ画題をどのように工夫して描くか、まさに「冨嶽三十六景への挑戦」が見られる作品です。
59年、広重は「富士見百図」という絵本を刊行しますが、急逝により初編の1冊のみで終了してしまいます。この本で広重は、「冨嶽三十六景」を刊行した後、絵本「富嶽百景」を描いた北斎への対抗心を明らかにしており、「(富嶽百景は)構図の面白さを優先し、富士山をただ取り合わせているに過ぎないものも多い。この作品では目の当たりにした眺望を写し取った」という内容の序文を残しています。あらゆる富士を描いた北斎に挑戦するという広重の気概が感じられます。
北斎と広重、2人が幾つもの作品で描いた富士山は、当時から景勝地であるだけでなく、信仰の対象でもあったことから、このようにくり返し描かれ、人気を博したのでしょう。2人の挑戦と、当時の人々のまなざしに思いをはせてみるのはいかがでしょうか。
(大分県立美術館学芸員 柴崎香那)
令和6年8月17日 大分合同新聞掲載