2024.12.21
大分市寿町の県立美術館で「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」(大分合同新聞社共催)が開かれている。同館の担当学芸員が見どころを紹介する。
本展では、別府市出身で、「竹芸」の分野で初めて人間国宝に認定された竹工芸家・生野祥雲斎(1904~74年)の作品の全貌をご紹介しています。今年は祥雲斎の生誕120年、没後50年の節目に当たる年で、当館では初めての回顧展となります。
生野祥雲斎(本名・秋平)は大分郡石城川村(現・別府市内成)に7人兄弟の四男として生まれました。1923(大正12)年に竹工芸家の佐藤竹邑斎(ちくゆうさい)に入門すると、2年後には独立して夢雀斎楽雲(むじゃくさいらくうん)を名乗ります。師である竹邑斎が29(昭和4)年に没してからは、皇族への献上品の製作依頼も受けるようになり、その実力は早くから認められていました。
36(同11)年、同郷で幼なじみの洋画家、宮崎豊(1903~91年)が文部省美術展覧会(文展)に初入選したことを契機に、祥雲斎も文展への挑戦を始めました。3回落選の後、ついに40(同15)年、「八稜櫛目編盛籃(はちりょうくしめあみもりかご)」がその年の文展に代わる「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」で初入賞を果たします。直線的で斬新な櫛目編と、伝統的な緻密な編みで立ち上げた盛籃形式の一連の作品は、古典的編組法と新しい造形的感覚の取り合わせが評価され、その後、次々と入選に輝きました。中でも43(同18)年の「時代竹編盛籃 心華賦(しんかふ)」は初めて特選を受賞した作品で、五弁の花びらのふくらみを櫛目編によって表した優品です。この後、戦争で一時制作は中断したものの、戦後の日本美術展覧会(日展)においても祥雲斎は連続入選を続けていました。
しかし53(同28)年、祥雲斎は櫛目編を用いず、伝統的な緻密な編みで全体を構成した「松葉編盛籃」を出品し、第9回日展に落選してしまいました。祥雲斎は大きな衝撃を受けましたが、これが転機となり、それまでの伝統的な盛籃・花籃の形式での作品制作からの脱却を図り始めたのです。
(県立美術館学芸員 柴崎香那)
▽会期は2025年1月23日まで。入場料は一般千円、大学・高校生800円。中学生以下無料。
生野祥雲斎《八稜櫛目編盛籃》 1940年 | 生野祥雲斎 《時代竹編盛籃 心華賦》 1943年 |