江戸時代後期、日本最大級の規模を誇った日田の私塾「咸宜園」とは ー。
咸宜園は、江戸時代後期の儒学者・廣瀬淡窓(1782~1856)が豊後・日田に開いた私塾です。文化14年(1817)、堀田村(現日田市淡窓町)に開塾した後、明治30年(1897)の閉塾までに全国からの入門者は約五千人を数え、当時における日本最大級の規模を誇りました。「咸宜園」とは、「すべてのことがよろしい」という意味で、淡窓は門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念を塾名に込めました。「三奪法」(入門時に年齢・学歴・身分を問わない)や「月旦評」(月ごとの成績表)をはじめ、数々の個性的な教育で知られる咸宜園からは、儒学者や教育者、医者、政治家など、多岐にわたる人材が巣立っています。また漢詩文との関わりが深い南画家たちの数も少なくありません。
大分県ゆかりの芸術家や学者たちの生涯と業績をひろく県民に紹介する「おおいた温故知新~大分の先人たちの知性と感性に学ぶ~」では、2017年度の第一弾として、今年開塾200年を迎えた咸宜園をとりあげ、塾主をつとめた廣瀬淡窓、廣瀬旭荘、後に南画家として大成する帆足杏雨、平野五岳、廣瀬淡窓を訪れた田能村竹田、頼山陽など、咸宜園ゆかりの人々の資料を幅広く紹介します。