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「住友コレクション名品選 フランスと日本近代洋画」寄稿記事【中】
住友洋画コレクションの特徴は、西洋絵画の影響を受けながら発展した日本の近代洋画の歩みを知ることができる点にもあります。特に慧眼の持ち主であった第15代当主・住友吉左衞門友純(号・春翠)の功績は大きく、春翠が収集に関わった貴重な作品が本展の序盤を占めます。
19世紀後半のフランスは肖像画や歴史画を重んじたアカデミーの伝統を守る古典派と、色や光を積極的に取り入れようとした外光派や印象派という異なる絵画傾向が共存していた時代です。1897(明治30)年に欧米視察をし、現地の動向を目にした春翠は、その両者を重んじたコレクションを形成しています。
「最後の歴史画家」と称されるジャン=ポール・ローランスの作品は、フランス革命で銃弾に倒れたフランスの将軍マルソーの遺体を、葬儀への参列を条件にフランスへ引き渡した敵国オーストリアのカール大公が弔う場面を描いたものです。ローランスは、明暗を強調した空間における力強い群像表現を得意としました。
この大作を住友家に送り届けたのは鹿子木孟郎という画家です。鹿子木は住友の援助によりフランスに2度留学し、ローランスに学ぶとともに、春翠の依頼に応じて師の作品を選定します。鹿子木は帰国の折に、明治美術会を率いた浅井忠と共に関西美術院を開設しますが、その建設費用もまた春翠の支援によるものです。
一方で、ラファエル・コランに師事した黒田清輝を筆頭に、戸外の光を意識した明るい絵画表現が移入されます。戦禍で焼失した黒田の重要作品「朝妝」や「昔語り」は、春翠が制作援助や購入をして須磨別邸に飾られたものです。黒田が結成した白馬会からは、和田英作、岡田三郎助、藤島武二らが輩出されますが、文部省美術展覧会(文展)や内国勧業博覧会に出品された彼らの名作もまた住友家に入ります。
白馬会が「新派」と呼ばれたのに対し、明治美術会や続く太平洋画会は「旧派」と呼ばれましたが、須磨別邸には、ローランス、モネ、鹿子木、浅井、黒田、藤島と、新派と旧派の垣根を越えて、傑出した絵画が一堂に飾られました。
春翠は限定的ながら地域の人々や訪れた画家や文化人に公開し、まだ美術館という施設がなかった時代に人々の心を潤しました。中には創作のインスピレーションを得た者もいます。こうして振り返ると、住友春翠という人物の、日本近代洋画の見守り役あるいは立役者としての顔も想像できるのではないでしょうか。
(県立美術館主任学芸員 木藤野絵)
令和5年7月14日 大分合同新聞掲載