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「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」寄稿記事【上】
人類史上に輝く繁栄を誇った古代ローマ。中でも古代ローマ人と同じく無類のお風呂好きである日本人が深い関心を寄せるものがテルマエ(公共浴場)です。
ローマ市で最初のテルマエは、初代皇帝アウグストゥスの側近であったアグリッパによって紀元前25年に建設されました。テルマエは、たちまちお風呂好きのローマ市民の心をつかみ、以来、歴代皇帝は市民の人気を得るために大規模なテルマエを競うように建設しました。4世紀の「ローマ市総覧」によれば、当時のローマ市内には大規模なテルマエは11を数え、小規模なものに至っては約900軒に上ったといいます。市民は、無料か格安の料金でテルマエを利用でき、毎日仕事を終えると多くの時間をここで過ごしました。
今も地上に遺構がよく残っているのは、カラカラ帝が217年に建設したテルマエです。ここは間口337㍍、奥行き328㍍、総面積約11万平方㍍という規模を誇り、敷地内には冷浴室、温浴室、熱浴室といった複数の浴室に加え、大プールや運動場、競技場、さらには図書館、観客席を備えたホール、庭園などがありました。また、室内は彫刻や絵画で壮麗に飾り立てられており、市民が一流の美術品に触れられる場でもありました。テルマエは、単に入浴するためだけの施設ではなく、娯楽施設であり、文化施設であり、社交場としての機能も兼ね備えていたのです。
テルマエが盛んに造られたのは、紀元前1世紀から4世紀の帝政ローマの時代に当たりますが、当時これほど大規模な施設を建設し、維持できたのは、ローマ帝国の強大な力を背景に莫大な富と大量の奴隷が集まっていたことに加え、高度な土木・建築技術があったことが関係しています。
テルマエは大量の水を必要としますが、当時ローマ市では上下水道が整備され、数十㌔㍍先の水源から水を引いていました。その給水量を1人当たりに換算すると現代と変わらない水準にあったといいます。
また、建築技術の進歩も目を見張るものがありました。テルマエをはじめとする古代ローマの建築物はコンクリート工法で作られていますが、2千年余りを経ても、残存する遺構は少なくなく、その強固さは驚嘆に値します。
テルマエは、まさに古代ローマの豊かさのシンボルのような存在だったのです。
(県立美術館主幹学芸員 吉田浩太郎)
令和5年12月8日 大分合同新聞掲載