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「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 江戸東京博物館コレクションより」寄稿記事【中】
今回はもう一人の本展の主人公である歌川広重についてご紹介します。歌川広重は、定火消(じょうびけし)(消防の役割を果たした江戸幕府の職名の一つ)の安藤家に生まれました。子どもの頃から絵を描くのが好きで、本展では10歳の時に描いた絵も紹介しています。その後、浮世絵師の歌川豊広に弟子入りし、20歳過ぎには作品制作を始めました。定火消との兼業で制作を続けますが30代半ばでついに隠居し、その後に刊行した「東海道五拾三次之内」でブレークを果たしました。
「東海道五拾三次之内」はちょうど北斎の「冨嶽(ふがく)三十六景」シリーズが終了した後に始まりました。江戸と京都を結んだ東海道の53の宿場の風景、さらに起点である江戸の日本橋と、終点である京都の三条大橋の風景を加えた55図のシリーズです。「冨嶽三十六景」の緊張感のある構図とは異なり、「東海道五拾三次之内」ではさまざまな時間帯、天候で移り変わる景色を取り入れ、往来する人々の旅情までもが感じ取れるような趣の深い作風が特徴です。
「日本橋 朝之景」(18日まで展示)は、東海道の起点である日本橋を橋の正面から描いています。朝焼けの空の色の移り変わりが、絶妙な色調によって表されています。一方で画面には大名行列や商売人が行き交い、交通・経済の要所としての日本橋をよく描き表しています。
「庄野 白雨」(20日~9月8日展示)は、シリーズを代表する作品の一つです。白雨とは夕立、にわか雨のことで、突然の雨に見舞われた旅人たちが足早に坂道を過ぎていく様子が描かれています。煙った背景の奥に見える竹林や、雨を表す斜線、画面を横断する坂道など不安定な要素を多く配して、道中の予期せぬ出来事による不安感を表しています。
この「東海道五拾三次之内」シリーズによって、それまでヒット作のなかった広重は風景版画の名手として名を上げていきます。
(大分県立美術館学芸員 柴﨑香那)
令和6年8月10日 大分合同新聞掲載