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「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」寄稿記事【下】
1953(昭和28)年の日展で落選を経験した祥雲斎は、翌年から「波三部作」と呼ばれる、波を題材とした連作を制作しました。それらは、竹の弾力性を生かして波の動きを表した意欲作で、中でも56(同31)年の「竹華器 怒濤(どとう)」は初めて「ホールのための作品」として制作した、画期的な代表作です。櫛目編(くしめあみ)や籐(とう)飾りによる荒波の表現もさることながら、作品の中心を構成する大胆な曲線によって、彫刻のような造形美を獲得し、「用」から離れた作品となったことが、代表作たるゆえんと言えるでしょう。祥雲斎はさらに、日展で特選と北斗賞をダブル受賞した「炎」など、捉えどころのない自然現象を櫛目編を用いて表した作品で自らの作風を確立させました。
また「竹華器 怒濤」の発表以降、祥雲斎は「近代建築と竹芸作品との調和」を念頭に置いて、大型の作品を制作していたということも、作風の変遷を考える上では重要です。「ホールのための」という副題は当初59(同34)年の日展出品作「虎圏(こけん)」に付けられ、また現在でも、翌年の日展出品作「ホールのための置物 梟将(きょうしょう)」に残っています。後のインタビューで祥雲斎は「竹の芸術は建築と共に日に新たに進歩しなければならない」と述べており、作品が置かれる空間を意識した制作が読み取れます。
日展を舞台にこのような活躍を見せてきた祥雲斎でしたが、65(同40)年の第8回日展を最後に出品を止め、以降は日本工芸会主催の日本伝統工芸展に活動の場を移しました。合わせて作風も大型の彫刻的な造形から、盛籃(もりかご)・花籃の形式に回帰していきました。
晩年までさまざまに作風を変化させていった祥雲斎でしたが、「竹の本来の美しさを生かしたまま作品にする」という点において一貫しており、この点が祥雲斎作品の見どころであると言えます。全国から優品が集まったこの機会に、余すところなくご鑑賞いただけますと幸いです。
(県立美術館学芸員 柴崎香那)
▽「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」(大分合同新聞社共催)は大分市寿町の県立美術館で2025年1月23日まで。入場料は一般千円、大学・高校生800円。中学生以下無料。