展覧会
2020コレクション展Ⅲ「天国と地獄」
洋の東西を問わず、「天国」と「地獄」は、信仰において現れるだけではなく、日常の生活においても、身近な言葉や概念として使われてきました。
キリスト教では、「天国」は正しい生活を送った信徒の霊が死後永久の祝福を受ける場所を、「地獄」は神の教えに背いた者、罪を犯して悔い改めない魂が陥って永遠の苦を受ける世界を意味しています。仏教では、「極楽」は西方十万億土の彼方にある、広大無辺にして諸事が円満具足し、この上なく安楽な苦患(くげん)のない世界を、「地獄」はこの世で悪事をした者が死後に苦しみを受ける場所としています。
私たちの日常生活においても、快適な環境や理想的な世界のことを「天国」や「極楽」と言い、“試験地獄”など、非常な苦しみをもたらす状態や境遇を例えて「地獄」と言うことがあります。
コレクション展Ⅲでは、当館の所蔵作品の中から、仏や神などのほか、近世の画人たちが夢みた桃源郷や現代人の精神の葛藤など、「天国」と「地獄」のイメージに関連した作品を展示します。ぜひ、会場で作家たちの想像力豊かな作品の数々をご覧ください。
- 会期
- 2020年8月7日(金)~9月29日(火)※休展日 9月2日(水)
- 休展日
- 9月2日(水)
- 会場
- 3階 コレクション展示室
- 開館時間
- 10:00~19:00
金曜日・土曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで) - 観覧料
- 一般300(250)円 大学生・高校生200(150)円
※中学生以下は無料
※( )内は20名以上の団体料金
※大分県芸術文化友の会 びびKOTOBUKI無料、TAKASAGO無料、UME団体料金
※高校生は土曜日に観覧する場合は無料
※県内の小学・中学・高校生(これらに準ずる者を含む)とその引率者が教育課程に基づく教育活動として観覧する場合は無料
※障がい者手帳等をご提示の方とその付添者(1名)は無料
※学生の方は入場の際、学生証をご提示ください
※開催中の企画展半券提示で1枚につき1回無料 - 主催者
- 公益財団法人大分県芸術文化スポーツ振興財団・大分県立美術館
展示構成
理想郷への憧れ
憧れのユートピア=理想郷をテーマとした文学や絵画は、世界中で創作されてきました。その発想を促した要素の一つは、宗教思想における「天国」のイメージといえるでしょう。広く人々の生活や慣習に根ざした天国観が、さまざまな理想郷として表現されてきました。
東アジア地域においては、古代中国に生まれた神仙思想や、それを取り入れた道教への信仰が広まり、渤海(ぼっかい)(中国東北部の海域)に浮かぶ想像上の神山「蓬莱山(ほうらいさん)」が理想郷のイメージとして定着しました。そこは仙人が住む俗界を離れた仙境(せんきょう)であり、不老不死の神薬が手に入ると信じられていました。
また、5世紀初めの中国の詩人・陶淵明(とうえんめい)が著した「桃花源記(とうかげんき)」は、武陵(ぶりょう)に住む漁師が迷い込んだ桃林の奥に、豊かで穏やかな田園生活をおくる人々の別天地=桃源郷があるという物語として知られています。桃源郷のイメージは、道教における仙境とも融合しながら、苦しみのない、美しい理想郷のイメージとして、日本を含む東アジア文化圏に拡がりました。
ここでは、河村文鳳の「蓬莱山図」、森寛斎の「蓬莱山中北極星迎南極星図」、田能村正東の「武陵桃源図」など、江戸時代より日本でも盛んに描かれた「蓬莱山」や「桃源郷」など、憧れの理想郷を描いた作品を中心にご紹介します。その他、仏教において、衆生を救済して極楽浄土へ導く「観音」や、浄土に咲く花「蓮」をテーマとする絵画や彫刻、さらには高山辰雄の「豊の国の朝」(県立病院ホール陶板画原画)や、神の島として信仰をあつめた琵琶湖の竹生島を描いた正井和行の「茫」など、日本画家による清浄で神々しい世界観をご覧いただきます。
生の光と影
このコーナーでは、静謐で奥深い情景を映し出すものから、人間の苦しみや葛藤、理性の裏側に潜む狂気や残虐性を想起させる作品などを紹介します。
菊畑茂久馬が1986年に発表した「月光」シリーズ(16点)は、物の初源をつかもうと希求し、自然と同様に普遍なるものを画面に生み出したように思われます。作家本人は「夜半にふと目覚め画室を覗くと、醜くただれた瘡の画布が、こうこうと差し込む月光を浴びて、ひそかに漏れた声を上げ、酔うような、匂うような、色の気配が漂っていた。そして、その夜を期して瘡の画面は一気に青淡色に染まっていった」(「在らざる光の中へ、月宮の中へ」)と記しています。
正井和行の「廃坑」は、長者原(大分県玖珠郡九重町)の硫黄の精錬所跡を題材とした作品です。廃坑という場所にもの悲しさを感じるとともに、長年に亘り工夫とともに硫黄を精錬し続けた精錬所がその役目を終えて、遠くに光る月が象徴する彼岸の彼方に、厳かに向かう情景のようにも感じられます。 また、戦争という悲惨な出来事から浮かび上がる人間の異常性や残虐性などに焦点をあてた作品もご紹介します。
ジャン・フォートリエは、二度の大戦における出兵やレジスタンス運動の経験から、人間が「非定形」なまでに破壊された状態を表現した「人質」のシリーズなどを展開し、浜田知明は、同じく軍隊体験をもとに、「初年兵哀歌シリーズ」を制作しました。糸園和三郎は、ベトナム戦争を厳しく告発するかのように、火幕の向こう側で人体が苦悩し、助けを求めて踠き、叫び続けるようなさまを「幕」シリーズで描いています。このほか、暗青色を主調に解体された人体を彷彿とさせる形態を描いた麻生三郎の「ヨコノ人の頭」、心の奥底に潜む欲望を擬人化したような加藤光馬の「煩悩(Ι)」などの作品もご覧いただきます。
芸術家が、人間社会の影といえる側面を描くのは、悲劇を招く人間の性を描くだけではなく、それを認め、乗り越える契機としての芸術表現を強く希求しているからなのではないでしょうか。
豊かで健やかなることを願って
古来より、私たち人間は、世の安寧や人々の健やかなる暮らしを願って生きてきました。このコーナーでは、当館が所蔵する工芸作品の中から、「長寿」「繁栄」「豊穣」といった願いを込めつくられた作品を中心にご紹介します。
阪口宗雲斎の「古矢竹寿老花籃」(前期展示)や飯塚琅玕齋「花籃 壽」(前期展示)には、作品名からも「長寿」や祝いの言葉を述べ幸運を祈る“寿ぎ”の意が読み取れます。また、田辺竹雲齋(二代)の「煤竹花籃 豊年」(前期展示)には、五穀豊穣や豊漁などの願いが込められています。
竹一斎の「亀甲編銘々皿」(前期展示)や「花鳥文金更紗」(作者不詳)の作品も、日本で古来より、繁栄や長寿を表すものとして用いられてきた吉祥文様をその意匠に取り入れてつくられています。
熊井恭子の「せんまんなゆた」には、ステンレススティール線のみで構成された作品とさらに麻糸平織を加えて織られた作品があります。作品名の「せんまんなゆた」とは、漢字では「千万那由他」と記されます。「那由他」とは、漢字文化圏における数の単位のひとつで、10の60乗などの極めて大きな数を意味します。この作品も、豊穣や繁栄などの願いを連想させます。
このような作家たちの思いの込められた作品をぜひご覧ください。
地ゴク楽(JIGOKURAKU)
このコーナーでは、現代作家 真島直子の「地ゴク楽(JIGOKURAKU)」の作品を中心に紹介します。
真島は、名古屋市出身で、2002年の第10回バングラディシュ・ビエンナーレでグランプリを受賞したほか、国内外で多数の展覧会に参加し、高い評価を受けている現代作家です。
「地ゴク楽(JIGOKURAKU)」とは、「地獄」と「極楽」を一語にした真島の造語で、1990年から、オブジェやペンと水彩による絵画、鉛筆画の作品を発表しています。
オブジェ作品は、朱や藍、深緑、茶褐色、白など幾種類もの紐やガーゼなどの繊維体が粘着し絡み合い、くねりながら四方八方に広がるものや、細かい繊維がほつれ合いながらぶら下がりながら、平面上に広がっていくものがあります。さらには、床に足を投げ出し座した人の姿や池の辺りで餌を欲しがり口を開ける鯉のような立体など、様々な形態をとります。 鉛筆画の作品は、5メートルを超える横長の画面に、精子や卵子、ウィルスや細菌など、無数の生命体のようなものが、うねり、漂い、蠢きながら、真っ白な画面を埋め尽くします。
これらの作品には、人間や動植物、微生物など、この世にあるすべての生命体が、何らかの交わりの中から個体として生を授かり、誕生するとともに、他の生命体と交わり、成長や変容、腐敗、消滅を繰り返していく、生命体の原初の姿が映し出されているようにも感じられます。
おどろおどろしいオブジェの姿や、無数の微生物のようなものが埋め尽くす画面を前に、不気味さを感じながらも、どこか心惹かれるものがあるとするならば、それは、自分という生命体の中に潜む身体的機能や感覚が、反応するからではないでしょうか。つまり、「地ゴク楽(JIGOKURAKU)」は、現代社会を生きる私たちに、原初の感覚を呼び戻させる「鏡」のようなものなのかもしれません。
「地獄」と「極楽」いう大きな振り幅のある概念をひとつにした「地ゴク楽(JIGOKURAKU)」という言葉には、地球上の生命体の姿を一言で言い表そうとした真島の思いを感じます。
聖なるもの
最後のコーナーでは、聖母や天使など、「聖なるもの」をイメージさせる作品を紹介します。
『聖家族』は、髙山辰雄がはじめて取り組んだ16の図からなる銅版画集です。キリスト教のヨセフ、マリア、イエスの3人をさす「聖家族」というタイトルは、完成した作品を見た作家の井上靖によって命名されたものです。三位一体となって生きる家族の姿が様々なかたちで表現されています。
風倉匠、広瀬通秀、甲斐サチら大分ゆかりの作家たちは、一世紀末に迫害に悩むキリスト教徒のために、新しい天と地の出現を黙示的に預言した「黙示録」や、カトリック教会で死者が天国へ迎えられるよう神に祈るミサである「レクイエム」を題材に作品を制作しました。
また、宇治山哲平の「精」という作品は、「妖精」や「精霊」などを想起させます。
コレクターの利岡誠夫氏から寄贈された利岡コレクションからは、現代美術家らしい独創的な視点から「聖なるもの」の在り様を探った作品を紹介します。ドイツ人彫刻家カタリーナ・フリッチュは、聖人像などを意外なスケールと色で制作することで知られ、ここでは作家の代表作である「Madonna」を展示します。このほか、闇の中に横たわる少女、風景、動物などのモチーフを絵画や彫刻に表し、聖と俗、生と死、西洋と東洋といった相対するものの揺らぎを探るイケムラレイコの「Engel」や、人形作家で俳優でもある四谷シモンの「天使の羽」をご覧いただきます。