日本を代表する浮世絵の名作、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、青を使った鮮烈な色彩と大胆な構図で人々に強い衝撃を与えました。この時、北斎は70歳を越えていましたが、長い画業の中で不断の努力を重ねていました。一方の歌川広重はこの時30歳代後半。風景画を描くもヒット作のない一介の浮世絵師にすぎませんでした。北斎の大ヒットの陰で、広重はどのように自らの画風を打ち立てていったのでしょうか。これまでも北斎と広重の富士シリーズを展示する展覧会は開催されてきましたが、本展はより踏み込んだ解釈により、風景画で双璧をなす北斎と広重の挑戦をストーリー展開で浮き彫りにする試みです。江戸東京博物館の貴重なコレクションを通して、二人の浮世絵師のあくなき挑戦の数々を名品とともにご紹介します。
共催 大分合同新聞社、OBS大分放送
後援 大分県、大分県教育委員会、NPO法人大分県芸振、西日本新聞社、毎日新聞社、
J:COM大分ケーブルテレコム、エフエム大分、大分経済新聞
葛飾北斎 《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》 天保2年~4年(1831~33)頃 【7月26日~8月12日展示】 | 葛飾北斎 《冨嶽三十六景 凱風快晴》 天保2~4年(1831~33)頃 【8月13日~9月2日展示】 |
歌川広重(うたがわ・ひろしげ 1797~1858)は、定火消 (江戸幕府の職名のひとつで、消防の役割を果たした)の安藤家に生まれましたが、浮世絵師の歌川豊広に弟子入りし、20歳過ぎには作品制作を始めました。定火消との兼業で制作を続けますが30代半ばで遂に隠居し、その後に刊行した「東海道五拾三次之内」でブレークを果たしました。
広重の名作「東海道五拾三次之内」は、「冨嶽三十六景」の刊行が終了したすぐ後に始まりました。江戸と京都を結んだ東海道の53の宿場を描いたこの風景画シリーズは、風景に季節や時間、天候の移ろいの描写を加えることで旅人の心情までも感じ取れるような作風が風景画の新機軸として評価され、人気を獲得しました。
「東海道五拾三次之内」中の富士山を描いた作品や、他シリーズで「深川万年橋」など北斎と同じ場所を描いた作品には、広重による北斎作品への意識が感じられます。ぜひ風景版画の双璧・北斎と広重の作品をこの機会に比較して見てください!
歌川広重 《東海道五拾三次之内 庄野 白雨》 天保5~7年(1834~36)頃 江戸東京博物館蔵【8月20日~9月8日展示】 | 歌川広重 《東海道五拾三次之内 原 朝之冨士》 天保5~7年(1834~36)頃 江戸東京博物館蔵 【8月20日~9月8日展示】 |
赤富士カレー 1,280円(税込)
葛飾北斎「冨嶽三十六景」よりインスピレーションを受け、赤いピラフとシーフードグリーンカレーを取り合わせました。
暑い季節にもピッタリのメニューです。ぜひこの機会にお召し上がりください!
※提供期間予定:7月13日(土)~9月8日(日)
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