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「アートも食も」 県立美術館長の大分ビーナス計画 その四

寄稿 2016.08.20

橋本英子さんとシフォンケーキを描いた新見館長のドローイング

橋本英子さんとシフォンケーキを描いた新見館長のドローイング

私は世にいう「スイーツ狂」ではない。生涯を「ギャルを喜ばせること」にささげているサブカルチャー編集者の息子も甘いものは全く口にしないし、「見たくもないので、あっち持っていってくれ」というほど甘味嫌悪症の美術館キュレーターもいる。
昭和30年代の地方生まれの記憶からすると、大人たちが競って「甘いもの」を食べていた覚えはない。まだ貧しい時代で洋食文化は浸透しておらず、洋菓子屋やチョコレート専門店など皆無だった。
慶応大の同級生で「大甘党」のKは、大学時代に尾道のわが家にもう一人の親友Sとやって来て、あらゆる海産を満喫した後に、おふくろに「何か甘いものはありませんか?」と聞いたことがあった。
「甘いものは子どもの食べるもの」という先入観があったが、それを覆したのは長い学芸員生活の過半を占めた西欧出張だ。酒を飲んで美味を堪能した晩飯の最後に、「デザートは何にしよう?」と男同士が顔をほころばせるのをよく見掛けた。習慣というのは恐ろしいもので、さまざまな風土に密着した西欧甘味にそれなりに慣れ親しんだ。
さらに大学で教えるようになり、教え子の中から幾人ものスイーツ名手が出るにつれて、「甘味」は料理同様に「心の肉体」にじかに触れること、つまりアートと同じだなと分かった。
大分に来るようになり、「シフォンケーキ」の名手である橋本英子さんを偶然知った。先日の夜中、酔った勢いか、たまたま枕元にあった彼女のシフォンケーキを続けざまに2個も食べた。
このケーキは油断すると口の中に入る量が半端じゃない。「フワフワ」を頰張って、かんで飲み込む。それにつれて薄い甘味や香りが喉に溶け込んでいく。
シフォンケーキは時間のかかる甘味である。あたかも世紀末作曲家のリヒャルト・シュトラウスの名曲「変容」のようだ。曖昧ではあるが、それなりに自分仕立ての時間のかけ方ができる。それがこの甘味を他の追随を許さない、豊かさに連れていってくれる。
しかし、これから毎日シフォンケーキを食べますかと聞かれたら、「いや僕は絶対にしませんよ」と答える。ほんのちょっとたまに優雅に味わうだけである。


新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成28年8月20日朝刊掲載